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【コラム】患者の立場から見た「日本の婦人科の歴史」を知った〜患者スピーカーバンクでの講演より〜byミサ(ピアリング理事)

病気の経験には価値がある

私が所属をしている「NPO法人 患者スピーカーバンク」は、病気や障がいの経験を講演(スピーチ)する人材を育て、講演を必要としている場所へ紹介する活動をしている団体です。

「困難な経験の中には、それらを語る患者や患者家族にとっても、語りを聞いた人にとっても、プラスにつながるヒントが含まれています。それは、病気や障がいを通して得た経験に、価値があるからです。(HPの文章より)」

患者スピーカーバンクで研修を受けた「患者スピーカー」は、様々な立場のメンバーがいます。先天性、後天性、難病、精神疾患、患者家族もいます。がん経験者も多いですが、がんの種類はバラバラです。講演の場は、企業、行政、学校、医療機関など様々な所からの依頼です。その他に自主開催イベント「患者スピーカー’s ストーリー」も行っています。

「患者スピーカー’s ストーリー」で講演しました。

2023年1月22日「つながりは大きな網となり」という題名でスピーチをしました。会場にも、zoomにも、ピアリングの仲間が聴きに来てくれました。
スピーチ前半は、病気(卵管がん)の説明から始めて、「がん疑い」の時に出産年齢ではなかったけれども、子宮や卵巣を温存したかった想いがあったことを話しました。
その後、結局がんと判明しますが、告知当時「がん友達はつくらない」と決めていたと告白すると、会場に来ていたピアリング・メンバーからクスクス笑いがおきました。
ところが、スピーチ終了後の「感想共有」のワークでは「がん友達はつくらない」の言葉に「私も同じでした!」という方が何人も現れて、共感を呼んでいた部分だったとわかりました。

最初の「がん友達」はピアリングを創立

友達はつくらないと決めていましたが、病気を公表していたので、必要な時に出会いはやってきました。初めてのがん友達は「がん患者さんのSNSを創立する」という大きな夢を語っていました。そう、ピアリングの創立者とこのタイミングで出会えたことは、私の人生の一大転機となりました。

「がんを無かったことにしたい」「元の生活に早く戻りたい」とばかり思っていましたが、ピアリングに参加して意識は大きく変わりました。「徹底的に、とことん、がんと関わる」方が私にはあっていたようです。

一つの出会いは次の出会いへとつながり、出会いは網の結び目となり、どんどん広がっていきました。その大きな網に私自身が支えられてきました。

偶然が必然となった凄い出会いが!

スピーチの後半は、私が今回伝えたかった、最近あった「出会い」と「学び」です。

2022年の11月のことです。趣味の水泳のYouTubeイベントに参加したら、まさかこんな所で? という偶然の出会いがありました。なんと婦人科がんの患者会を20年も前に立ち上げていた「大先輩」に出会ったのです!(注:現在その患者会は休止中)子宮体がん経験者のその方が20年前に出版された「婦人科がんの本」を手に入れて読みました。

婦人科医療の解説書の書き手が医師だけだった時代に、初めて患者視点で書かれた画期的な本だったそうです。

読んでみると20年前との変化に気がつきます。まず、治療薬や治療法といった医学の進歩があり、環境面ではインターネットの拡大がありました。医療の現場では20年前は「看護師」はまだ「看護婦」と呼ばれていた時代だったと思い出しました。

その一方、医師・病院選びの重要性や、医師と円滑なコミュニケーションを取るためのアドバイス、治療後の後遺症についてなど、今でも学ぶところは少なくないです。

まさに今の私に必要な本でした。患者支援の活動を始めて6年になる私に「歴史を学べ」というお告げがやってきたようでした。

がん告知がなかった時代の患者の苦悩

その次に教わって読んだのは、30年前に25歳で卵巣がんを経験した山口育子さんの著書『賢い患者』です。

30年前、がんを告知しない医者もまだいました。彼女は主治医に詳しい病名を教えてもらえないまま、髪の毛は抜け始め、激しい吐き気に襲われ、これは絶対抗がん剤治療に違いないと気がついていました。今のような良く効く吐き気止めの薬はなく、とても辛い治療の様子が書かれています。そんな中でも「自分に起きている真実を知りたい」と働きかけますが、彼女の主治医は「患者が知る必要はない」という姿勢をなかなか変えませんでした。

後に彼女は「患者の知る権利」を主張する活動と出会い、現在も生きて、元気に活躍されています。その活動は「反対運動」ではなく、相互理解を理念としていて、この本には「医療者と患者の相互理解」のためのアドバイスが書かれています。こちらは現在も読まれている本です。

認定NPO法人 ささえあい医療人権センターCOML(コムル)

歴史を風化させず、次の患者の勇気へ

これらの本を通して、さらに歴史を遡って、私は40年前の事件を知りました。※

健康な女性に嘘の病名を告げ、正常な子宮や卵巣を摘出手術し、手術代を稼いでいた産婦人科病院がありました。現代では考えられない恐ろしいことです。最終的な被害届は1000件以上にもなったそうですが、それほどまで表面化しにくかった社会、時代の背景がうかがえます。(※富士見産婦人科病院事件)

私自身は「がん疑い」の時に、子宮卵巣を温存したいと、主治医にうったえ、それを初回手術では受け入れてもらえました。

時代が違ったら、口に出すのも大変で、ましてや受け入れてもらうのは無理だったのだろうと気がつきました。私が納得のいく治療ができたのは、日本の婦人科医療を改善しようと努力をしてきた方が大勢いて、患者側からも働きかけてきた先輩患者達がいたお陰。私は先輩患者達に力を頂いたのです。

40年前のその大きな事件の後に訴訟を起こした女性達は、どれほどの勇気を振り絞ったのだろう? と想像したら、私の苦労なんて、とても小さなことに思えてきました。

歴史を風化させず、今のやり方で次の患者へ伝える、その学びが患者の勇気となる……私はその役目を託されたのかもしれません。そして、今の私達は、未来の医療をつくっているのです。

以上が私の講演内容でした。

一歩を踏み出す患者達「まさか私がスピーカーに?」

患者スピーカー達は、ちょっとピアリングの皆さんに似ていると、私は感じています。「私、人見知りなんです」「まさか人前で喋るようになるとは」という声をここでも聞きます。私自身も、昔はスピーチってハードルが高かったのですが、「書いて読むだけ」と思ったら、出来るようになりました(その経験がピアチャンネルYouTubeライブへつながっています)

皆さん、実際に人前で喋るかどうかはさておき、治療経験や人生の振り返りに、患者スピーカーバンクの研修に参加してみませんか? 研修での「出会い」もありますよ!

病気の経験を「隠さない生き方」にふれてください。

私達の病気の経験には価値があるのです。

患者スピーカーバンクについて https://npoksb.org/

会場に来てくれたピアリング会員達と。一番左は、患者スピーカーバンクの研修で出会ったピアリングのおさるさん。一番右は、スピーチに書いたら「本人登場!」となった、婦人科がん患者会の「大先輩」まつばら けい さん

文・写真 一般社団法人ピアリング理事 望月ミサ

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