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【コラム☆ピアリング】「前向きな一歩を踏み出すために、過去の経験と向き合う」20代で白血病を告知されたサバイバー、ナツさんインタビュー

こんにちは。ピアリング編集部スタッフのゆうです。

過去の自分と向き合うことで、がんという経験を前向きにとらえることができれば…。
そう考えたことがある方も多いかもしれません。
そこで今回のコラムは、20代で急性骨髄性白血病の告知を受け、現在は保健師さんとして日々さまざまな方の相談に乗っている、ナツさんにお話を伺いました。
ナツさんが、病気と向き合った過去を見つめ直し、経験を社会に活かそうと思えるようになるまで、どんなことがあったのでしょう。

今回オンラインでインタビューに応じてくれたナツさん(向かって左) 聞き手のピアリング編集部スタッフのゆう(右)

社会人デビューと同時期に白血病告知! AYA世代特有の就労の悩みも。

――では、ナツさんのこれまでの経歴を教えてください。

ナツ:1977年生まれで、千葉出身、千葉育ちです。
大学卒業後、就職したばかりの頃に、ふと、手の甲にアザがあるのを見つけたんです。
自分では、どこかにぶつけたかなぁ、くらいに思っていたんですが、それがなかなか消えないので、軽い気持ちで近くのクリニックに行きました。
すると先生から「大きな病院で精密検査をした方がいい」と言われてしまい、それまで健康で大きな病気とは縁がなかったので驚きました。

――それはびっくりしますよね。私同世代ですが、その頃のほほんと学生生活を送っていました。精密検査は、急いでしたんですか?

ナツ:紹介状を書いてもらった東京の大学病院に行くと、そのまま検査入院となりました。
その結果、急性骨髄性白血病と告知されました。その時は、もうわけがわからなかったですね。検査入院だけで帰れると思っていたのですが、輸血をしながら抗がん剤治療をすることになり、そのまま半年近くにも及ぶ入院生活に入りました。

――若年性だと周りにがん経験者は少ないですよね。相談できる同病の友達や、患者会の仲間などはいましたか?

ナツ:大きな病院で、同世代の方が多く入院していたので、話はよくしてました。院内にも白血病の患者会がありました。ある時、その患者会に入っていた男の子がいたので、どんな感じか聞いてみると「患者会に入って友達がたくさんできるのは嬉しいけど、お別れすることも多いのでそれがつらい」と言っていて、それはたしかにつらいな〜と思い、結局患者会には入りそびれてしまいました。

――その後も患者会などには参加しなかったのですか?

ナツ:結局、その患者会のことを教えてくれた彼も亡くなってしまったんです。
そんなこともあり、がんの方と接することがなかなかなかったのですが、最近になって、若年性の患者会をのぞいてみました。当時は若年性に特化した患者会はなかったので、若い方がたくさん集まっていてびっくりしましたね!

――社会人になったばかりで、白血病の告知と治療という経験は大変でしたね。

ナツ:入社してすぐの試用期間中で。入社前に受けた健康診断ではなんともなかったので、会社から「病気がわかっていて、入社したんじゃないか」などと疑われてしまい、とても悲しかったです。結局、会社にはほとんど通えず、辞めることになってしまいました。

一念発起して看護学校へ! しかし新たな問題が!

――その後はまた別の仕事に?

ナツ:その後はフルですぐに働く自信がなかったので、事務職についたり、自宅療養したりと、ゆっくりと日常に戻っていきました。その中で、治療中医療従事者の方にお世話になったことが忘れられず、自分も医療を通して社会に貢献をしたいと思うようになったんです。
そこで一念発起して、看護学校へ通いました。

――すごい! 頑張ったんですね。

ナツ:そうなんです。でも、もうすぐ卒業という時に、なんと白血病が再発してしまいました。

――そんな時に! 再発の治療は順調でしたか?

ナツ:初発から7年経っていて、今度は抗がん剤治療に加えて、自分の骨髄を移植する自家移植の手術をすることになりました。

妊孕よう性温存への希望。抗がん剤治療の合間に卵子凍結にのぞむ!

――若年性のがんは、妊孕性(生殖能力)の温存など、治療に関してさまざまな選択肢がありますが、当時そういう情報はすぐに見つかりましたか?

ナツ:ほとんどなかったですね。当時、付き合っている彼がいたので、ゆくゆくは結婚を考えていたんです。なので看護師さんに、将来子どもが持てるのか、自分から聞いてみました。

すると「うちの病院では、夫婦関係にある患者さんの受精卵凍結をしている」という答えでした。なので、医師に相談をして、抗がん剤治療の合間に採卵をして、入籍前でしたが彼との受精卵を凍結しました。
その時に、産科の先生に不安を共感してもらいたかったので、将来の妊娠について不安を伝えたら「抗がん剤治療の間に卵子を取っているから、出産後、子どもにどう影響があるかわからない」等、結構つらいことを言われて、とても不安でしたね。産科の先生に少し不信感を抱いてしまいました。

――私も妊娠中に抗がん剤治療をしていたので、がんとは別のことで不安になるお気持ちわかりますね。ではその後、妊孕性温存と治療は、順調に進みましたか?

ナツ:治療が進んでいくにつれ、いろいろ悩みましたが、そんな時偶然、同世代の悪性リンパ腫の患者さんから、がん患者の妊孕性温存にとても積極的なクリニックがある、という話を聞いたんです。不妊治療で有名なところなんですが、すぐに行って、医師に状況を相談しました。
すると、受精卵ではなく、卵子の凍結を勧められたので、次の抗がん剤を開始するまでの短い期間に、採卵を行い卵子の凍結をしました。

――看護学校へは戻れましたか?

ナツ:もうすぐ、国家試験という時だったので「こんなに頑張ったのに再発なんて、神様なんていないんだ、もうどうでもいいや」と自暴自棄になってしまいましたね。
体調もすごく悪いし、感染症のリスクもあるし、国家試験なんて受けれらない、ととても落ち込んでしまって。
でもそんな時、お世話になった看護師長さんから「私が試験について行ってあげるから受けなさい」と言われて、車椅子を押して試験会場に連れて行ってくれたんです。そして、試験を受けることができました。

――車椅子で試験会場に付き添ってくれるなんて、素敵な師長さんですね!

ナツ:そうなんです。そんな周りの助けがあり、結果は無事合格。あの状況で試験が受けられた、合格した達成感から心が少しだけ前向きになりました。
移植のダメージはありましたが、事務職などしながらゆっくり働き始め、社会に出て自信がつきました。徐々に、現場に出たいと思うようになり、看護師として働き始めました。

――つらい治療経験を看護という仕事に活かせたんですね! 患者さんの気持ちがわかる看護師さん、親身になってくれそうな気がします。

ナツ:それなんですが、社会人経験がほとんどないまま、看護師になってしまったので、なかなか仕事に慣れなかったんですよね。それに、体力もないから夜勤もできず、骨髄移植もしているから、感染症の病棟にも入れないでしょ? なんか負い目を感じるようになってしまって。

そんなことが積み重なって、結局看護師を辞めてしまいました。
しかし、それでも医療や福祉のために貢献したいという気持ちが捨てられずに、次に就いたのは市の保健師(※)の仕事でした。毎日とっても忙しいですが、この仕事も今10年目です。
※保健所等で市民の生活相談に乗るなど、保健指導全般に関わる業務

白血病の治療を乗り越えて出産。ようやくつかんだ幸せ。

――お仕事のこと、大変だったんですね。恋愛や結婚についてはどうでしたか?

ナツ:実は、受精卵凍結を行った時の彼氏とも、自然と結婚話が出てたんです。でも相手の家族に反対されてしまいました。彼が両親に反発してでも一緒に人生を歩む、という決断をしてくれれば、私も考えたのですけどね…。結局別れてしまいましたが、ちょうど周りが、結婚・出産ラッシュの時期で、とても落ち込みましたね。「もうこれからは、自分一人で生きていこう! 誰にも頼らないで生きていこう!」と心に決めました。

――手に職もあるし、女一人で強く生きて行こう、と(笑)

ナツ:そうそう(笑) でも、その後、すぐに今の主人と出会ったんです!これはもう運命だと思って、付き合って1年後には、入籍しちゃいました!

世の中、捨てる神あれば拾う神あり、なんですね〜。再発した時に、あれだけ神様はいないんだ、なんて落ち込んだのにね(笑)

――それはおめでたいですね! 自分のことのように嬉しいです。妊孕性温存のことなど、旦那さんに相談しましたか?

ナツ:入籍後、できれば子どもを持ちたいと夫婦で話して、卵子凍結をしていたクリニックを受診しました。人工受精で受精卵をお腹に戻しましたが、私の場合、白血病再発の、抗がん剤治療中の採卵なので、半分あきらめていて、ダメでも仕方がない、くらいに考えていたんですね。
でも、順調にお腹の中で育ってくれ、不妊治療のクリニックを卒業でき、産婦人科への通院が始まりました。
それでもまだ不安があり、産科の先生に今までの状況を説明したところ、そういう前例がなかったので「無事出産できるかわからない」というようなことを言われてしまって。それでますます不安になりました。臨月が近づいてきても妊娠の継続に耐えうるのか、とにかくずっと心配をしていました。

――そのお気持ち、よくわかります!

ナツ:不安ですよね。ですが、そんな不安をよそに、お腹の命はすくすく育ってくれて。
2014年の3月に、無事に元気な男の子を出産することができました!産まれた瞬間には本当に嬉しかったです。
嬉しいのと、安堵の気持ちでいっぱいで、言葉になりませんでした!
おかげさまで、その息子も現在は小学生です。

これからの目標は「経験を伝え、支援する側へ」

――本当によかったですね。そしてうちの息子と同い年だ。 では、 これまでの経験を通して、今治療中の方に伝えたいことはありますか。

ナツ:私は保健師という仕事柄、日々いろんな方のお話を聞く機会があります。そこで思うことは、一人では解決できないと思っていたことも、誰かに相談することで解決のきっかけにつながるかもしれないということ。
悩みや不安があれば、その気持ちを誰かに話してみて下さい。そうすることで、気持ちが軽くなるかもしれません。

私は治療中、そして、最近まで病気のことを隠していました。

がんになってしまったことをマイナスな経験ととらえ、自問自答を繰り返していましたが、最近、過去の自分と向き合う機会があり、過去に対して、少しだけ前向きな気持ちになれたんです。

そして、育児もひと段落して心にも少し余裕ができ、踏ん切りもついたので、私の経験を伝えることが、若年性がんの方への希望につながるかもしれない、と思えるようになりました。

それから、これは目標なんですが、以前、ママサークルの活動で、介護施設の慰問に行き趣味のフルートを演奏したことがあり、機会があれば病院などで患者さんを励ますためのコンサートもやってみたいです。音楽って人と人との繋がりを作ってくれるツールだと思っているので。

自分がたくさんの方に支えられて今日まで来られたように、誰かを支える活動もしていきたいです!

――ナツさん、今日はどうもありがとうございました!こちらも元気をもらえました。いつかリアルでお目にかかれるのを楽しみにしています!

文・写真:ピアリング編集部 ゆう

               
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