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【経験談】「米国で離婚協議中に乳がんに……!? 専業主婦から起業!」阿部 嘉代子さんインタビュー

こんにちは。
ピアリング会員の木口マリです。
このコロナ禍の中で、いつもとは違う日常となり、気持ちが沈みがちになっている方も多いと思います。
そんな中、がんを経験しながらも幅広く活躍しているサバイバーさんの活動を紹介し、みなさんにも元気になってもらおうという特別企画で、インタビュー記事を執筆させていただきました。

がんは、誰にとっても人生の一大事。
心の負担は相当なものです。しかも不思議と、ほかの一大事と重なって起こることも多いもの。
今回は、海外でお子さんを抱えての離婚協議の真っ只中に乳がんが見つかったものの、のちに起業し日本酒のよさを米国に伝えている阿部 嘉代子さんに、ピアリングスタッフの のんさんと共に、お話をうかがいました!

阿部嘉代子さん(左上)ピアリングスタッフ上田のぶこ(右上)インタビュアー木口マリさん(下)

米国で離婚協議中に乳がんに……!? 専業主婦から起業し、日本酒をワシントンへ
MU.GEN、SAKÉ MU.GEN代表取締役社長 阿部 嘉代子さん

阿部 嘉代子さん

「Not now!!」がんと離婚、同時に向き合う

――がんが見つかったのはいつですか?

阿部:2011年12月に、検診で左胸にしこりが見つかりました。当時は離婚協議の真っ最中だし、息子はまだ小学生で、私は専業主婦。精神的、経済的にもきつい状態で、「Not now!!」(何で今なの!!)と心の中で叫びました。

――治療は当時もお住まいだった米国で行ったのですか?

阿部:日本に帰りたかったのですが、息子のこともあり米国で治療を受けることになりました。しかし、米国では保険に入っていても医療費が高額。生検だけでも約800ドル(約82,000円)の自己負担とのことでした。

でも、米国は、お金に困っている人への民間のボランティア組織によるサポートがとても手厚いのです。医師は「お金のことは考えなくていい。今は身体のことを何とかしよう」と言ってくれて、本当にありがたかったですね。手術後で動けないときは、ボランティアによる食事のデリバリーや、ガソリン代・食材代を補うためのクーポンをいただくなども。ネットワークで支援がつながっているシステムは、とてもすばらしいと思いました。

――米国と日本で「がん」のイメージに違いはありますか?

阿部:日本では「シリアスな病気」という暗いイメージがありますが、米国ではオープンにしている人が多いです。ご近所や友人が助け合い、主治医が患者の家族をハグするのも普通(笑)。日本から看病に来た母は、がん患者に対して周囲の人が明るく接しているこの国の雰囲気を、とても気に入っていました。

ようやく日本へ帰国! しかし新たな問題が

――治療は順調に行えましたか?

阿部:手術を2回と、傷のケロイド防止のための放射線治療、ホルモン治療を行いました。母が帰国した後は、離婚裁判のストレスと治療の副作用で体調が最悪な状態に。呼吸困難になり救急へ何度も運ばれました。薬の副作用で吐き気が続き食べられず、食べても吐いてしまうこともあり、体力が落ちて半分寝たきりの状態でした。強度のストレスによる肋間神経痛も発症し、3年くらい胸の痛みが続いていました。

――がんだけでなく、さまざまなことで心身の負担が大きくなってしまったのですね。ホッとできたのは、どんなときでしょうか?

阿部:しばらくして、日本に帰れたときです。自分の国に足を踏み入れたら、涙があふれましたね。

――今のところ再発などは起きていないのでしょうか?

阿部:再発はしていませんが、乳がん発覚から2年目の検査で白血球の値が低いことがわかりました。さらに検査を進めると「白血病の可能性」との診断でした。米国での検査は高額ですし、ちょうど一時帰国の間際だったので、日本で診察を行うことにしました。

診断名は、「NK細胞(※)増殖症」。「NK細胞が、身体のどこかでがん細胞と戦っている可能性があるが、検査ではそれが見つからない」とのこと。現在は、帰国のたびに経過観察をしています。

(※NK細胞:ナチュラル・キラー細胞。がん細胞などを攻撃する免疫機能を持つ)

――「白血病かも」ということを、息子さんにはどのように伝えましたか?

阿部:息子は当時10歳くらい。日本へ向かう飛行機のなかで、「ママは、またがんになったかもしれない。それで死んでしまうかもしれない。自分のことは自分でできるようにしておきなさい」と伝えました。離婚や乳がんのときもそうでしたが、子供なりに「何かが起きている」ということは理解していたようです。

人生にはいろいろなことがありますが、息子には自分のことに責任を持って生きて欲しいと思っています。親としてレールを敷いてあげるけれど、どう生きたいかは自分で考えられる人間になってほしいですね。

できる仕事から始め、さまざまなつながりに

――起業のきっかけを教えてください。

阿部:離婚後は、がん闘病で体力がなく、フルタイムの仕事ができる状態ではありませんでした。そこで最初は、フリーランスで仕事を始めました。以前、外資系企業で働いていたときのスキルを生かした財務関係のコンサルタントや通訳など。

すると周囲から、「会社を立ち上げた方がいい」とアドバイスがあり、コンサル会社を細々とやり始めました。日米のアルコール関連プロジェクトのお仕事をいただき、そのネットワークからワシントンDCでの日本酒の認知度は未発達だと知りました。唎酒師の資格を取り、2019年、日本酒を米国でPRする会社「SAKÉ MU.GEN」を設立しました。仕事は大変ですが、好きなことをできていると思っています。

――ピアリングともお酒がきっかけでつながったそうですね。

阿部:当社のクライアントであるワイナリーが、ワインを乳がん患者支援に役立てるプロジェクトに参加したのがきっかけでしたね。

私には、治療中に助けてくれた人がたくさんいます。その恩返しがしたいと思っています。現在は、深刻な病気を抱えた生活困窮者への食事のデリバリーのボランティアや、がん患者へ医療情報提供などもするようになりました。

今、悩んでいる人へ「心にバケーションを与えて」

――がんになったことで、ご自身の人生にどんな影響がありましたか?

阿部:がんにならなかったら、人生はまったく違っていたと思います。がんと離婚がダブルで押し寄せて本当に大変でしたが、逆に、人生のリセットにもなりました。毎日、「自分は何がやりたいのか」を自問しています。

今後は、好きなように、納得のいく生き方をしたい。あと、今まで経験してきたことを、若い人たちに還元していけたらと思っています。

――今、悩んでいるがん患者さんへ伝えたいことはありますか?

阿部:人生にはアップダウンがあります。ダウンのときは、ネガティブな発想をしてしまう。でも、絶対に朝は来る。明けない夜はありません。もしかしたら“夜”は、1週間、1年間と、明けないかもしれない。そのときにどう踏ん張れるかですが、泣きたいとき、引きこもりたいときは、それでもいいんです。

つらいときの心は、パンパンに膨らんだ風船のようなもの。それを緩められるように自分を甘やかしてみてはどうでしょう。ワインを飲むでも、友達と話すでも、アロマを焚くでも、自分が心地いい空間を作ることに集中すれば、気持ちの切り替えスイッチが入るかもしれません。ご自身の心にバケーションを与えてみてください。

プロフィール
阿部 嘉代子
乳がん経験者。MU.GEN Inc.(ミュー.ジェン)、SAKÉ MU.GEN(サケ.ミュー.ジェン)代表取締役社長。米国・ワシントンD.Cを拠点に活動中。
MU.GEN Inc. http://www.mugendc.com/index.html

聞き手
木口マリ
ピアリング会員。写真家・文筆家・「がんフォト*がんストーリー」代表。
2013年に子宮頸がんを発症。手術、抗がん剤治療を受け、合併症のため一時期は人工肛門に。
現在は、医療系を中心に取材・執筆活動を行う。
ブログ「ハッピーな療養生活のススメ」(http://happyryouyoulife.blog.fc2.com/)、連載エッセイ「木口マリの『がんのココロ』」(公益財団法人日本対がん協会)等を公開中。
投稿型ウェブ写真展「がんフォト*がんストーリー」(https://www.ganphoto-ganstory.comを運営。

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