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抗がん剤脱毛を抑制するαリポ酸誘導体の研究開発ー大分大学医学部 消化器・小児外科講座、教授・診療科長 猪股 雅史 教授

ピアリング

猪股雅史教授

「抗がん剤脱毛を防ぐことができれば、乳がん患者など治療に向き合う患者の意識も変わる」と、大分大学医学部はもちろん、「癌・炎症とαリポ酸研究会」に集う多くの研究者がタッグを組んで、αリポ酸誘導体を研究し、新薬開発に取り組んでいる。その中心的リーダーこそが猪股雅史教授だ。

少子高齢化になるに従って、がんの患者は増えていくが、がん患者の一番の治療法は外科手術だ。なかでも「内視鏡手術は根治性、安全性、低侵襲(低負担)、機能温存の4本柱を踏まえて外科治療を行っています」と語る猪股雅史教授こそが、αリポ酸誘導体の研究開発を進める大分大学医学部の中心人物だ。

基礎医学と臨床医学のαリポ酸誘導体の研究開発トランスレーション・リサーチ

外科医の猪股教授が基礎医学の分野の責任者なのでしょうか。

あまりクローズアップされていませんが、外科としてがん治療を行っていく上で、現場では非常に大きな問題があることが分かったのです。

手術をして病気が治れば、体の負担が大きくても、体の機能が落ちても、がんの治療だから仕方ない、とかつてはいわれていました。ところが同じ病気を治すにも、少しでも体の負担が少なくて手術後のQOL(Quality of Life、生活の質)、体の機能が温存されることに越したことはありません。

実際に患者に接している臨床の先生が、そのためにはどういうことが問題で、どうすればいいのかと、その疑問を基礎医学に戻し、侵襲(体の負担)をどれだけ下げられるか、体の機能を温存できないか、あるいはそのときの体の免疫反応がどうなるかなどを検証して、臨床医学にフィードバックする必要性があるのです。これは今、トランスレーショナル・リサーチと呼ばれています。「ベンチからベッドへ」ともいわれ、ベンチは基礎医学で、試験管の実験から動物実験までの検証をする。それを基に患者に治療を行っていくという医療です。

基礎医学と臨床医学のコラボレーションですね。

今後の医療にこのコラボレートは重要です。一般の病院ではなかなかできませんが、大学病院なら基礎医学と臨床医学の両方を兼ね備えており、大分大学ではいち早くタイアップしながら問題に取り組んでいます。

-具体的には、今までは抗がん剤治療の脱毛は仕方がないと諦めていましたが、そこに焦点を当てられた。

この25年ほどの間に抗がん剤はものすごく進歩したし、がん細胞の表面のタンパク質や遺伝子を標的に攻撃する分子標的薬というものも出てきましたから、薬の効果でかなり生存率が上がり、再発防止効果も出てきました。今や外科手術と抗がん剤、放射線治療を組み合わせた集学的治療で、がんの治療成績は高まっています。ですから外科医でがん治療にあたる方は、抗がん剤の知識を持つことが求められます。

抗がん剤脱毛を防ぐ基礎医学と臨床医学の αリポ酸誘導体の研究開発

-抗がん剤脱毛防止の研究をはじめられたのはどのような理由からですか。

抗がん剤の主な副作用としては、白血球が下がったり、血小板が下がったりという血液毒性。これが最も大きなもので、下がり過ぎると命に関わります。2つ目には消化器症状に現れ、脱水になったりするとこれも命に関わります。それから末梢神経障害。手のしびれがきて、日常生活に支障をきたしてくる。そして、最後にくるのが脱毛です。

抗がん剤脱毛というのは日常生活には支障はないし、命にも関わらない。20 ~ 30年の抗がん剤の歴史のなかでは医学的には一度も注目されていません。というのも、抗がん剤投与を止めて半年から1年もすれば元に回復する。だから「いいじゃないか、抗癌剤治療をやっているときぐらいは」で済ませられてしまう。薬の副作用は国際基準があって、それに基づいて評価されますが、脱毛という項目は100%脱毛してもグレードが5段階のうちの2段階で、非常に軽い。5が死亡、4は重篤な合併症。1は自覚症状がほとんど無し。血液が少し減ると2で、もう少し減ると3、4となる。脱毛に関しては、髪が全部抜けても、2です。

-抗がん剤脱毛は、女性にとっては心理的に大きな負担です。

結局は生命に関わるかどうかが基準なんです。ところが、患者さんと実際に接すると、患者さん自身には全然自覚できない白血球が下がるという理由で抗がん剤治療を拒否する人はあまりいませんが、それよりも「見た目が非常に困る」という心理的ダメージのために抗がん剤治療を拒否する患者さんは多くいます。また抗がん剤脱毛は、実は皮膚にもかなりダメージがあり、頭皮が赤くなって痛み、ピリピリ感などに悩まされます。しかし、脱毛や皮膚のダメージという副作用は、命には関わらないという理由で置き去りになり、抗がん剤脱毛の研究はあまり進んでこなかったのです。

 
-抗癌剤脱毛のメカニズムとは、どのようなものなのでしょうか。

脱毛には大きく分けて男性型脱毛と抗がん剤脱毛があります。男性型脱毛は皮膚科の先生、例えば大阪大学の板見智先生をはじめ多くの研究者がいます。男性ホルモンが影響していることが明らかになっていて、実際に治療薬も出ています。

それに比べて抗がん剤脱毛は、患者さんは困っていたのですが、研究が進んでいないので原因の解析というのがあまり分かっていなかったのが実状でした。そこで我々はまず、臨床のチームと大分大学の基礎医学の先生方とまず抗がん剤脱毛はどうやって起きるのか、と研究をスタートさせました。

まず最初に、動物の抗がん剤による脱毛モデルを作りました。具体的には抗がん剤をラットのお腹に注射すると全身の毛が抜けていきます。そのときに脱毛の状態を観察して、組織学的に病理の顕微鏡で見たときにどんなことが起きているのかを調べました。

毛根にある毛母細胞を中心として炎症が起き、周りに線維化が起きていました。おそらく抗がん剤が血液を回って皮膚に達したときに皮膚の毛根、毛母細胞、毛乳頭細胞にダメージを与えて炎症を起こさせることが分かりました。そして大事なことは、寿命を全うして細胞が死ぬことをアポトーシスといいますが、抗がん剤を投与した毛母細胞もアポトーシスがかなり促進されて、早く死ぬことが明らかになりました。さらに、抗がん剤脱毛による皮膚の変化として毛母細胞と周辺の組織に対して酸化が進み、さらに炎症を起こさせてアポトーシスを促進させるのです。これらを明らかにして論文として発表いたしました。

そこでこの3つを食い止めれば、脱毛を抑制できるのではないかと、我々が開発した抗酸化力が強いαリポ酸誘導体をラットのお腹に注射で投与したところ、αリポ酸誘導体が全身に回り、見事に脱毛が抑制されました。ただし、全身に回るということは副作用もあるかもしれない。そこで今度は、αリポ酸誘導体をクリーム状にして皮膚に塗布しました。そうしたら同じように効果が出たのです。炎症を起こす皮膚をターゲットにしているので、体表に塗るだけで投与でき、薬が到達できる、ということが分かったのです。

これなら患者に副作用がなくて、しかも確実な効果を得ることができると、αリポ酸誘導体が入った毛髪用のローションを開発しました。

 
-この研究・開発にはどのような方々が関わっているのでしょうか。

大分大学医学部の中はもちろん、CIA研究会のネットワークを利用し、薬理学、毛髪、製剤設計、基礎医学、臨床医学、抗がん剤のそれぞれのエキスパートに参加していただき、基礎データを出してから実際に臨床試験に至るまで、3年間ほどを費やしました。

この研究成果を発表したのは、2011年初めに香港で行われたトランスレーショナル・リサーチという学会です。抗がん剤脱毛を抑制する薬は世界で初めてのことですから、多くの方々から強い関心をいただきました。

今まで、がんの患者さんは受け身だったのが、これからはがん患者のQOLを考え、社会復帰をしながら治療ができます。そこまでサポートしていくのが医療の役目で、抗がん剤脱毛はひとつの大きな解決すべき問題なのです。特に女性の罹患率の1位は乳がんですが、乳がんを罹患しやすい年代のピークは40代。40代の女性というのは社会でも家庭でも一番活躍するときです。乳がんの場合は手術の前に抗がん剤を投与したり、がんが無くなったあとでも再発予防で抗がん剤を使います。乳がん患者にかなりのウェイトで抗がん剤を使うのですが、心理的ダメージを考えると、なんとかしなくてはいけない。

特に乳がんの場合は、今では10月のピンクリボンデーには世界のシンボルタワーが全部ピンクになるほどの気運が高まっています。それに呼応して、医療側もただ治すだけではなく、患者側のニーズ、患者のQOLを考えなくてはいけない時代なのです。

 

αリポ酸誘導体の男性型脱毛への応用

-αリポ酸誘導体は男性型脱毛にも有効だとお考えですか。

男性型脱毛はまたメカニズムが違います。男性ホルモンによるもので、ホルモンの影響で脱毛が起きてきます。まず最初に、脱毛を促進する男性ホルモンをブロックする薬剤が必要になってくると思います。αリポ酸誘導体が男性ホルモンに対してどういう影響があるかを研究する必要がありますが、抗がん剤の治療でアポトーシスを抑制することで脱毛を抑えることができたということは、同じように効果があるだろうとは考えています。さらに、男性ホルモンである酵素5α-リダクターゼを抑えることができるかどうかが課題と考えています。

-今後の研究のスケジュールを教えてください。

まず、抗がん剤脱毛に関しては、現在103人の方の臨床試験をしていただいていますが、それに関して第三者による効果判定を行なう予定です。そのあとに、皮膚科の先生たちとの共同研究に入り、男性型脱毛に対する効果を評価する研究をすすめ、エビデンスを出して男性脱毛症にも広げていくことが次のストラテジーになっていくと思います。毛髪、頭髪用の化粧品について、アデランスとの共同研究でいつでも商品開発のスタートがきれます。

インタビュー・文/佐藤彰芳 撮影/田村尚行

PROFILE/いのまた まさふみ
1988年大分医科大学医学部卒。大分医科大学医学部附属病院(外科第一)、国立病院九州がんセンター研究所病理部などを経て、2014年より消化器科・小児外科学講座教授、診療科長。

2015年9月24日発行「aderans plus(アデランス プラス)」に 収録したインタビューを再掲載しました。 文中の役職等は、取材当時のものです。

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