読者の皆さんの中にも親御さんの介護をされていたり、最後のお別れを体験された方も多いのではないでしょうか。
私には九州に80代の親がいます。コロナ禍でなかなか会うことができませんでしたが、昨年末、2年ぶりに帰省しました。かくしゃくとしていた父が、朝か夕方かの区別もできないほど一気に認知症が進んでいて、がくぜんとしました。重い認知症を患い施設に入っている母にはタブレットを介しての面会しか認められず、年老いた親をめぐるコロナ禍の残酷さを痛感してきたところです。
今回お笑い芸人「ロンドンブーツ1号2号」の田村淳さんの母ちゃんのフラフープ(ブックマン社)を読みました。母・久仁子さんは60代で肺がんを発症。再発を告知されましたが、いっさいの延命治療を拒否します。この本は、淳さんの幼少期から、上京のため実家を巣立つ青年期、末期の肺がんの母親との最後の別れまでを、しっかり者だった母との思い出を中心につづっています。
淳さんは山口県下関市出身。貧しい団地暮らしながら、しっかり者の看護師の母・久仁子さんのもと、のびのびと育ちます。幼いころの思い出話は、どこの家庭にもあるような、懐かしく忘れられない家族だけの物語です。一貫しているのは他人に迷惑をかけるなという久仁子さんの厳しさと、息子への愛情です。
淳さんは上京後、一切お笑いの仕事がなく、相方も失い、アパートの部屋で引きこもり状態になりました。そんな時も久仁子さんは手作りの味噌を送ってくれ、淳さんを励まし続けました。
久仁子さんのがんが再発し、これが最後の別れになると感じた淳さんは、久仁子さんの誕生日に下関の実家に駆け付けます。久仁子さんに生まれたばかりの孫娘を抱かせ、最後のお別れをする様子が淡々と描かれていきます。
一度はタクシーに乗り実家を去ろうとするも、たまらずもう一度、部屋に駆け上がり、母をきつく抱きしめるシーンがあります。
――東京に戻らねばならない時間が迫っていた。「じゃあ、そろそろ行くよ」。
母ちゃんは落ちくぼんだ目を見開いて僕の顔を穴があくほど見つめた。
僕はその骨ばった手を握りしめた。この手で僕を育ててくれた。
この手で撫でられ、この手で叩かれ、この手があったから
僕は大人になれたのだ。これ以上強く握ったら、折れそうで怖かった。
淳さんは「親とは二回、別れがある。一度目の別れは、子どもが実家を出ていくとき。二度目の別れは、親がこの世から出ていくときだ――」とつづります。
看護師として病院で生と死に日常的に触れてきた久仁子さんには、確たる死生観がありました。生前に新聞販売店の連絡先から、仏壇の花の種類、麦みその作り方まで、残った家族が困らないよう細かい遺言を用意していました。
「死を考えることは生きることなのかもしれない。いつしか僕もそう考えるようになった。親との別れは必ずくる。元気なうちに死に方や死後のことを話すことが、どれだけ大切なのかを痛感しました」と淳さん。その体験から淳さんは、生前に動画で家族に向けた遺言を残す「ITAKOTO(あなたが本当にいたこと)」サービスを考案します。
動画の方が気軽で息遣いや、その人らしさが残るのでは、と考えたのです。生前、淳さんの考え方に賛同した久仁子さんが、フラフープを回し続ける後ろ姿の動画が、巻末のQRコードから見ることができます。
淳さんは毎晩、この動画を見てから眠りにつくそうです。二度と同じメンバーで同じ時を過ごすことができない家族の日々の大切さと、別れの切なさを教えてくれる良書でした。
ピアリング編集部 麦