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ぴあれぽvol.44☆ 「パワハラ、離婚、再発。辛い経験があっても、私が今幸せでツイてるわけ」ピアリング会員ジュビリーさんインタビュー

こんにちは。ピアリング編集部スタッフのゆうです。

がんを告知されて、好きだったことができなくなってしまう、仕事は続けられるのかな?など不安に思っている方も多いかもしれません。そこで今回、乳がんの治療中に趣味のゴルフに支えられたという、ピアリング会員のジュビリーさんにお話を伺いました。ジュビリーさんが、がんと向き合う中で、ゴルフや仲間に支えられた経験から勇気をもらえるかもしれません。

抗がん剤治療中にも!夜勤の合間の楽しみとは?

――はじめにジュビリーさんのこれまでのことなど、簡単に自己紹介をお願いします。

1974年生まれで、千葉県在住です。治療中も現在も看護師として働いています。家族は私の母と、成人している娘と、学生の息子が2人います。そして趣味はもっぱらゴルフです!

最初、2018年9月に検診で乳がんが見つかりました。術前検査では、非浸潤癌のステージ0で、抗がん剤治療はしなくてよさそうだと言われたので、11月に乳頭乳輪温存の全摘術後、エキスパンダーを入れました。その1ヶ月後には、職場に復帰しました。
その後、術後の病理検査の結果で抗がん剤治療をすることになり、ウィークリーパクリタキセル、ハーセプチンの投与が始まりました。看護師として勤めていた病院では、治療中にもかかわらず、夜勤を増やされてとてもキツかったですね。

――抗がん剤治療中に夜勤も?パワフルですね〜!

主治医に夜勤について相談しても、夜勤が可能かそうでないかの判断が、医師にはできないと言われて。職場では、これまでがんを告知されて働き続けた方の前例もないらしく、結局夜勤を増やされてしまいました。しかも、脱毛の他に鼻血、不正出血の症状が辛くて「夜勤減らしてくれ」と訴えても上司は「他の人の夜勤が増えてもいいの?それはあなたの甘え。みんなと平等にするのが私の優しさ」と言われてすごく辛かったです。

それでも、夜勤の合間に大好きなゴルフの練習にも打ち込んで、それがモチベーションになりました。体調の良い時は、朝夕と日に2回練習に行って。
あと、毎日ウォーキングもしていたので、そこまで体力も落ちなくて、抗がん剤治療が終わってすぐのゴルフ大会で優勝しました。
通院時に主治医に「調子はどうですか?」と聞かれたんで、「まだ吐き気あるけど、ゴルフで優勝したよ」と伝えたんです。次の形成外科の受診時に、カルテを見た先生が「なにこれ?吐き気、ゴルフ優勝って」と言うんで、何のことかと思ったら、主治医が形成の先生に見せるカルテにそのまま「吐き気、ゴルフ優勝」と書いていたらしくて。
その時の先生の驚いた顔は、今も忘れられないですね(笑)

コースに出てみると、私よりも年上なのに治療中にプレーしている方が他にもいました。
顔見知りの年配の方に久々に会った時、痩せたなと思ったので聞いてみると「がんになっちゃって今ステージ4。薬飲んでるけど、週4回ゴルフ来てんの。」なんてケロッと言うんで、負けてられないと思いましたね。

突然の離婚と局所再発、そんな時も支えももちろん…

――治療中は、ゴルフやお仕事の他に家事などの、家族のケアなどもあったんですよね。

実は…治療中に夫と離婚しました。性格の不一致で、相手から一方的に離婚を切り出されて。まあ仕方ないな、と思いました。
もともと育児も手伝わない、食べ物の嗜好も違う、お酒も飲まない、趣味はゲーム、という人で。私は食べるのも飲むのも好きだし、旅行も大好き。ゲームは全然しません。そんな感じなので、性格も合わないし共通の楽しみもなかったんです。

私が告知された時、夫に「お前が死んだらこの家にいられなくなる」と言われました。私の実家に二世帯で住んでいたので、もし私に何かあったら、私の親の介護などありますよね。それが嫌で、離婚して別の家庭を作るという、新たな人生計画をこっそり練っていたようなんです。でも、親も彼をよく思ってなかったので、かえってよかったです。この辺のくだりはあまりに頭に来て、ピアリングのダイアリーに詳しく書いてあるので、もし気になる方はご覧ください(笑)

嫌な相手と過ごすのはマイナスにしかならないけど、自分と子どものためなら辛くても頑張れる。子どもにはちょっと辛い想いをさせちゃったなと思いましたが、今は別れられて本当に良かった。毎日好きなことができて、今好きな人もいて、とても幸せです。
もし今これを読んでいる方で、離婚の話になった時は、必ず専門家に相談して、弁護士さん立ててくださいね。これは、私の心からのアドバイスです。

――ジュビリーさんが今お幸せということでこちらもほっと安心しました。その後もやっぱりお仕事とゴルフ三昧ですか?

仕事は…前の部署でのパワハラにあってしまって。今は別の部署に移動しましたが、病欠中に業務連絡メールを送ってくれなかったり、リーダー業務を外されたりして、業務に支障をきたしてしまうほど意地悪されてしまいました。厚労省のパワハラ相談に相談したら「無視、仲間外れ、仕事を与えないのもパワハラです」とはっきり言われました。でも、自分はどこに行ってもやっていけると思っているし、今の仕事へのこだわりもそれほどなくて。とにかく定時に終わり、ゴルフの練習ができればそれでいい、本当に嫌になったら辞めればいいや、と割り切りました。

――治療中も頑張って勤務されていらっしゃったのに、それはひどいですね。

いざとなったら環境を変えよう、と思って部署移動を希望しました。新しい部署は、救急で思った以上に大変。これは試練だ、と感じていますが、苦労しないと人間成長しないので、成長するために乗り越えようと思いました。ゴルフに明け暮れ、仕事に嫌々行く、友達と旅行に行って、一緒にお風呂に入る。そんな告知前と変わらない生活ができていることは幸せですよね。

突然の局所再発。手術直前、ゴルフの歴史に名を刻む!

部署移動してしばらくして、リンパ節に転移が見つかったんです。
再発や転移について、多少覚悟していたいですが、思っていたより早かったなと。リンパ節の手術後に抗がん剤、ハーセプチンとパージェタの治療をすることになりました。その時「またハゲるのか。そしてやっとゴルフハンデ20までなったのに、手術までにはハンデもっと減らさなければ」とやっぱりゴルフのことが気になり、さらに練習に打ち込むことに。その結果、手術前の大会で優勝できたんです!

この大会は絶対に優勝したい!と思ってとにかく練習しました。来月は手術だから、私には来年はないかも、という気持ちで臨みましたね。
優勝すれば、優勝カップとレストランの壁に歴代の優勝者の名前が刻まれるので、私のゴルフ史をなんとか残したいという思いがあったんです。おかげさまで名前を刻むことができました。


さらにその後、手術の2週間前に千葉女子オープンゴルフトーナメントという大会に出ました。

私のがんのことを知っているプロから「大会に出ないか」と声をかけられ、もう失神するかと思うほど驚きましたが、参加します!と即答しました。
物凄くハンデも多いですが、プロと同じ土俵に立つのは、私の長年の夢。手術前に話がきて、やっぱり神様っているんだと思いました。

結果は90人中86位でしたが、今まで練習してきて自分らしいゴルフができたし、何より集中していると、自分ががんであることを忘れられました。新聞に取材をしていただいたり、一緒に回ったプロに褒められたりと、とても嬉しかったです。乳がんの啓発活動として、ピアリングのチラシを配りました。

――その節は本当にありがとうございました。
2度目の手術ですが、1度目の時とゴルフに対する気持ちは変わりましたか?

今回は入院当日も、朝練に行きました。そして病室にパター、パターマットの他にスイングできるスティックを持ち込み、ベッドの横にパターマットを敷いて練習しました。4人部屋で私しかいなかったのですが、看護師さんが「廊下でやっていいよ」と言ってくれて。でも流石にそれはちょっと、ね(笑)
看護師さんや他の患者さんとゴルフ話で盛り上がりました。

病室でもゴルフ!

退院の許可が降りる前の日、ゴルフ練習場の会長が誕生日を迎えたのでどうしてもサプライズでお祝いしたくて、主治医に早めに退院をお願いすると「ドレーン自己管理できるなら退院してもいい」と言われ、退院できました。
その足でゴルフの練習場へ行きました。すると会長もその場にいたプロも「え!おージュビ坊、え!」って、みんな驚いていましたね。会長は、私が帰ってきたら喜ぶようにと、練習場にとても綺麗なお花を植えてくれていて、それを見たら涙が出ました。

ジュビリーさんのためにと、ゴルフ練習場に植えられたお花

――その後も抗がん剤治療が再び始まるわけですが、初発の時と比べてどうでしたか?

また脱毛するのは嫌だから、正直抗がん剤はしたくないと思っていました。でも、化学療法室に勤務した時、治療を続けている方を見て、生きていくためにはやろう、と考えが変わりましたね。でも、やっぱり脱毛が始まった時はすごく泣いて。友達にも「脱毛するからもう会えない」と言いました。

でも、副作用の波が軽くなると「ねぇ練習に行こうよ。いつもの店に行こうよ」なんて、友達誘って出かけてました。
お酒飲むとさらに気が大きくなって、友達の前でケア帽子も「えいっ」と脱いじゃって(笑)友達に「被りなさいよ」と言われても「いいのいいの。いつも家でこれだからさ。ハゲたぐらいで、私たちの関係が崩れるわけじゃないでしょ」なんて調子で。朝起きて冷静になり、外でやらなくて良かった、と心底思いましたね(笑)
あと、息子の友達の前でもハゲを見せちゃったことがあります。
初めて脱毛姿を見たはずの友達たちも何も言わないし、息子も慣れているからか、あまり気にしてないようでしたね。終始そんな感じだったので、そのうちハゲ全開で外に飛び出してしまうんじゃないかと、当時は心配になりました(笑)

――息子さん、友達を普段通りに連れてくるって言うのはある意味優しいかもしれないですね。その後のゴルフの調子はどうでした?

2度目の治療で、仕事は少し休みましたが、体力を戻すリハビリとしてコースに行っては17000歩くらい歩きました。

でも、パージェタの副作用で下痢がひどくなってしまって、放射線治療も辛くて。仕事が始まってからは、練習に出てもスランプに陥って、練習が辛くなってしまったんです。「私、もうゴルフに戻れないかも」と涙してた時、練習場で小学生の女の子が一生懸命練習してたり、5歳の男の子がお父さんにめちゃくちゃ怒られながら練習したりしてて。男の子なんか、わんわん大泣きしながら打ってるんです。それを見て、子どもたちがこんなに頑張っているんだから、おばちゃんも頑張らないと!と勇気をもらいました。

幸せがあとからたくさんやって来た

――現在はどう過ごされていますか?やっぱりゴルフ三昧

辛かった放射線も、終わってみると案外あっという間でしたね。今はハーセプチンとパージェタ治療ですが副作用にも慣れてきました。
そして、この前ゴルフでベストスコア89を出したんです!やっとハンデが手術前に戻って距離も前より飛ぶようになり、治療に負けず毎日練習してきて本当によかったと心から思いました。とても嬉しかったなぁ。

それから、父が脳梗塞になり在宅介護が始まりました。母がメインで介護していますが、デイサービス、リハビリ、ショートステイなど社会資源を利用しています。介護も楽しくやっていますよ。私は父親っ子だったので、父の影響から、留学やゴルフに興味を持ったのかもと思っています。
そして最近娘が結婚して、孫もできるので、ミシンを買ってハンドメイドにも挑戦しています。

――わー、お孫さんですか!それは本当に嬉しいですね。

そうなんですよ〜!私は学生結婚だったのでまだ40代ですが、孫の世話となるとさらに体力も必要ですよね。今後夜勤も増えるし、大会もまた控えているし。そんなわけで体力作りにもなるゴルフの練習は、生きる源になりつつあります。 そして、他にも嬉しいことがありました。
30年近い付き合いの男友達とレストランに行った時「今は治療中だけど、治療が終わると今後また再発するかもしれない」と話したんです。そしたら彼が「僕は120歳まで生きる。もしお互い100歳まで生きていたら、結婚しよう。約束だよ」と、プロポーズしてくれたんです!
私も「それって凄い奇跡だよ。100歳で結婚なんてマスコミも来ちゃうよ」なんて言って。今は時々おしゃれして一緒に飲みに行ったりする仲ですが、私に生きる希望を与えてくれた彼にはとても感謝しています。

――素敵!ぜひ結婚式には招待してください!

もちろん。結婚式は派手にやりたいです。その時は、ピアリングの皆さんをはじめ、大勢の方を招待したい。ブーケトスは、みんな杖を使っての白熱する競技になりそうです(笑)

――あと約50年後ですね。それまでに私もブーケトスに参戦する体力をつけておきます(笑)では今辛い想いをされている方へ、伝えたいことなどありますか?

振り返ると辛いことも多いですが「好きなことがあれば乗り越えられるんだなぁ、そして好きなことは、どんなことがあっても続けられるんだなぁ」と実感しました。
ゴルフもそうですが、資格の勉強など、がんになってから、今やらないと!早くしないと!と思うことが多くなり、今まで以上にいろんなことにのめり込んでいます。

そして、ピアリングに出会い、闘病も楽しいことも共感できる素晴らしい仲間ができたことに感謝しています。オフ会に行くたび「世の中にはこんな楽しいことがあるんだ。生きててよかったぁ」と思うほど。出会いに本当に励まされました。離婚やパワハラなど人との関係で苦んできましたが、嫌な人とはおさらばできて、ずっと私を応援してくれてる人が周りにいる。私の人生は、本当にツイていると思います!

――私もこうしてジュビリーさんの前向きなお話を聞けて嬉しいです。最後に今後の目標などあれば教えてください。

私の目標は、後ろは、振り向かない、前に進む。そして、とにかく明るく楽しく面白く治療し、えっ!こんな元気ながん患者いるの、と周りを驚かせたいです。あと、ピアリングのゴルフ仲間集めていつかピアコンペもやりたいですね。

ジュビリーさんのダイアリー、これからも楽しみにしています。今日はどうもありがとうございました!

インタビュー・構成 ピアリング編集部 ゆう

               
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